好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

おかず、嬉しくいただいてます

ご近所の友達や読書室に来てくれてる方たちからの届けものがありました。「作りすぎたの。サラダたべる?」と。「ちょーだい」とすぐもらいたがる私。

持ってきてくださつたのは、サラダだけでなく、ゆで卵にブロッコリーなどもあり。それに大根とニンジンの漬物。いい味でした。

またもうひとりの方からは、高菜の漬物に、もう食べてしまつた干した大根と昆布の漬物。よく作れるなあと感動でした。f:id:office2b:20240226185514j:image

ボールペンになつたつもりに

2月のエッセイ塾は擬人化に挑戦

新聞で取材に走り回っていたころ、マンガ家のはらたいらさんと全国あちこちに取材にでかけていました。昔、テレビのクイズダービーでお馴染みでしたよね。

はらさんはよく「逆転の発想で物事を見る」と言っていました。

ボールペンになりきって、使っている人の性格をあからさまに描いてみたり、果物屋なら店頭に並ぶ果物が、お客をどう品定めしているか予想してみたり、または果物たちが並ぶ順を競ってみたり、ストローになったら、やつばり可愛い子に吸ってもらいたいとお願いしたりー。

そんな感覚で物を見て書いてみようと、宿題にしました。

面白いと言う方、私はできないという方、もう何になるかきめたと言う人あり。来月がお楽しみ。挑戦して欲しいな。

あやせはるかミカンに、はざまかんぺいミカン

 愛媛県松山市の、ウイメンズ・ステージの読者からミカンが届きました。なんと「あやせはるかミカン」と「はざまかんぺいミカン」だって。黄色の「はるか」はとても甘く、オレンジ色のかんぺいミカンはぷつぷつとした舌ざわり、ジューシイ。知らなかったなあ。面白い!f:id:office2b:20240224220958j:image

「女性作家で楽しむ読書室」は百人一首の女性歌人

1月27日は百人一首を取り上げました。毎年1月は百人一首の女性歌人をとりあげています。

今回は右近。とりあげた歌は「わすらるらをば思はず誓ひてし人の命の命の惜しくもあるかな」取り上げた本は「ときめき百人一首小池昌代、女房三十六歌仙の抒情」田中阿里子、「ねずさんの日本の心で読み解く百人一首小名木善行、「鑑賞 百人一首」石田吉貞 など。

思いが届かない人への恋慕、寂しさ、そして痛烈な皮肉がからまつている歌と思つていたものの、「もう私のことなんてどうでもいいのよ、誓いを破るなんて何が起こっても不思議はないから。あんた、命は惜しくないの?」と啖呵をきるという豪快な歌と解釈している書もあり、面白くなりました。

なかでも国学者賀茂氏が「 恋の歌を、騙し合い、興奮、偽善なととしか理解しない人は、人の持つ詩の最も美しい部類を、みずから放棄してしまうもの。百人一首はこの歌を、素直に美しい愛の歌ととらえている。それを忘れたくない。と指摘してること。知り、納得。

素直に歌の世界を楽しむべしと痛感しました。

次回は4月27日土曜日 円地文子の「女坂」です。

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42年も毎年お墓参りしてくれる先生

8歳で癌で亡くなった長男。その当時通っていた学童保育所にはちやんと先生がいて、おやつも手作り、キャンプも、夏祭りもあって、親と先生が一緒になつて子どもにいいことはどんどんやつてました。今は先生は配置されてなくて制限山ほどのようですが。

そのころ先生だつたのが、男の子みたいに活発で、子どもたちが大好きだつたK先生。短髪でバイク。かっこいいの。

子どもたちとは兄弟みたいな感じで、親の私たちとも友達みたいな雰囲気で、それは楽しい学童でした。

そのK先生は、息子が亡くなってもう40年を超えるのに、毎年盆と正月近くには墓参りをして下さつているのです。

夫が亡くなって気分が落ちこんで、とても外には出られなかった時も、今年なんか、孫がインフルで預かることになり、またもや墓参りできずにいたら、先生は友達と2人で掃除もしてくれ、お酒、ビールが並んでいた。花も正月用にとても華やかなのです。

もう42年にもなろのです。我が家では長男が亡くなって以降、元旦に長男の墓参りして、1年が始まるので、今年も元旦に行ったら、もう先生たちがお参りに。ラインでお礼を伝えたところ、「年2回の墓参り続けて行きたい。今年も任務終了」の文字。ありがたい!

 

 

数十年続く友人たちと集う

同じ職場で働き、私が退職する前には2人の友人はそれぞれ他の道へ。それでも連絡を取り合い、毎年近況報告がてら会ってきました。

食事したり、絵を習ったり、旅も。その間、友人のひとりと私が連れ合いを亡くし、ひとりが重い病に。たがいに気遣うことしかできませんが、窮状を分かち合い、寄り添ってきました。なにがどうということではなく、何かあれば飛んでいく。常に心にある。元気でいて欲しいと。

病だつた友人が元気になつたときの喜びはひとしおでした。その祝いも兼ねて12月に、友人の家で食事しつつ、長いおしゃべりを。年齢を重ね、だからこそでてくるさまさまなことを、互いに交流しつつ、これからの人生を進んでいきたいとおもいましたね、

エッセイ塾で望年会

12月19日.我が家で一品持ち寄りの望年会。この1年、書き続けてきた生徒さん。ひとりが出版。全員の作品を各自で文集に仕上げることもできました。

ワインやお酒も持ち寄り、「よくぞ、書き続けた」と励まし合いました。書くことは簡単そうですが、切磋琢磨する仲間がいてこそ励みとなるもの。いろんな書き方があることを知るのも刺激になるし、暮らしを語り合う中で、社会に目f:id:office2b:20231223200510j:imageを向ける機会にもなります。

持ち寄りの料理で楽しんだ後は、エッセイ塾。来年のテーマは丁寧に日々の暮らしをつづつていくこと、特に消えゆく昔の慣習、伝統を自分の暮らしに見つけて描くこととしました。

何年も書き続けていく生徒さんに脱帽しています。