好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

中村哲医師の映画、インタビューなど

■映画「荒野に希望の灯をともす」(2022年/90分)2019年12月兇弾に倒れた中村哲医師のアフガニスタンパキスタンでの活動を記録したドキュメンタリー劇場版。
谷津賢二監督のお話(20分)もあり。

日時:9/21(木)3回上映
①13:30-、②16:00-、③18:30-
場所:なかのZERO小ホール(500人)(JR.中央線中野駅南口下車歩8分)
参加費:当日一般1300円(大学以下500円)
※一般前売券あり
問合せ:東京革新懇
電話0339477901
mail:tokyo@t-kakushinkon.org

NHKラジオ深夜便(9/15/am.1:05-)で、谷津賢二監督のインタヴューが放送。《らじる⭐らじる=ネットラジオまたは聞き逃しサービス》で1週間(9/22深夜2:00迄)聴くことができます。
中村哲医師がアフガニスタンの山岳地帯で巡回診療を始めた頃に撮影が許されて初めて同行したこと、以来21年間の興味深いお話を伺うことができます。(初回2023年5月放送のものを深夜便アーカイブス特撰明日への言葉/「医師中村哲がのこしたもの」より)

突然、愛する人がいなくなるということ

韓国ドラマ「冬ソナ」が好きで、今再放送されているのをなんとなく観ていると、そうだ。主人公の恋人も突然交通事故でいなくなってしまったんだと知った。

連れ合いを突然亡くす方は多い。悲惨な事故、災害。心中いかばかりかとー。そんなことに思いをはせても、10分前まで会話していて、突然倒れて亡くなってしまうと、うろたええる他ない。

あれから自分は違う世界に生きている気がする。モノにさわり、食事をしても、ちゃんとした実感、触れている感覚がない。といっても、仕事をし、エッセイ塾ではしゃべり、友人とはランチもする。ジムで泳いでもいる。でもなんか違うんだなあ。

 

欲というものが薄れ、流されるように日々をめくっていく。

文化の幼児化の怖さ

8月のエッセイ塾

  佐伯京大名誉教授の論文「育成の衰弱は文化の喪失」(東京新聞8月1日付け)について交流

  ジャニーズ事務所の元社長によるタレント志望の少年たちへの性的加害について論じています。

  問題の背後には、わが国の文化の最前線があまりに幼くなっているのではないかと指摘。背景には少年、少女を人気タレントに仕立て上げ、利益を生み出すという我が国のエンターテイメント文化の現状があること。

 「かっこいい」「かわいい」が「価値基準となり、商品価値が生まれれば、メディアもそれを後押しする。少年・少女たちが市場に舞台に乗せられ、社会や文化の主役となり、音となが迎合する。

 今日では「若いこと」が価値観を持つ。「新しいこと」が勝ちを生む。かつてはあたかも水滴がたまるように、経験や知識の蓄積とする、ゆったりと流れる時間が大事であった。今日では経験や知識の蓄積は余計なもので禰時代の変化に対する軽やかな反応こそが価値の源泉となる。

 年寄りは役立たずの存在になる。今日の文明が陥った「幼児化」というべきものであろう。

 情報化という現象は常に新しさに価値を求め、常にアップデートを要請され、「上書きむされなければならない。

 人も社会も同じでアップデートされ、「上書き」される運命にある。こうしてわれわれは「上書き文化」に浸っている。

 だが、時間の中でゆっくりと経験を積み、吟味し、反復し、校正するという習慣の衰弱は「文化」の喪失を意味している。

 文化とは、あたかも土地を肥し、植物を育てるように、時間をかけい人の精神をゆっくり育てるものだからである。

 

どうでしょう。考えてみたい問題ですね。

スタッフ皆で旅行

スペース「すてーじ.刻」では、いろんな取り組みをすると同時に、スタッフの交流を大事にしています。まずは自分たちこそ楽しむべしと。 9月は箱根へ。ゆっくり散策し、おしゃべりをします。もう観光はいいかなと。ある人は夫が手術、入院の繰り返し、ある人は病で休職中の子どもの心配を、ある人はまだまだ幼い孫の世話を。そして私は夫を亡くしたばかりで、なかなか辛いものがあります。

あるスタッフは「家の事情を話せる仲間が地域にいるのは、とても心強い」と言ってくれました。みんな同じかな。

人生の後半は、楽しみを追いかけるより、その時々の心の迷い、辛さ、憤り、むろん楽しみも、分かち合えるは仲間が身近にいるかどうかが大切なのだと思う。

それには自分も、そういう人でありたいと心掛けることが必要かな。求めるだけでは得られないものがあるはずだから。

7月のエッセイ塾は、言葉について

わからない言葉は徹底的に調べたい。暑い日々。昼間も体がしんどいことが多くなりました。つい、うつらうつら。

ではうつらうつらとうとうとの違いつてなに?

 

うとうとー半分眠ってる状態。覚めているような気はするけれど、でも気持ちいい。

うつらうつらー覚めている方に重点があり。眠たいけれど覚めてる。何か心配ごとがあつて寝付けないようです。

 

辞書を開くと知らなかったことにたくさん出会えて面白い!

 

嬉しいメール

昨年亡くなった夫とずつと一緒に生きていたくて、新しく立ち上げたHP。その中に夫のページを作り、夫の友人たちが思い出を投稿してくれています。

 

思い出したときにその都度投稿してくれる方から昨日3回目が届きました。大学のときの野球の試合こととでした。感度もファウルをだして粘って粘って打席に立つていた姿でした。

その前は英語劇。発音が抜群に良うまかったのですと。なんでも褒めてもらうと嬉しくなる私です。

女性作家で楽しむ読書室は、田村俊子を取り上げました

7月22日開きました。

戦下の中で生きるとはどういうことだろう。現実にロシアのウクライナへの侵攻、世界で紛争が火を吐く。改めて制約の多い中、自分を通して書き続けた女性作家に思いをはせました。

 

日露戦争第一次大戦満州事変など戦争の中の生涯で、自分の感情をぶつけるように作品をだし続けた田村俊子

 

幸田露伴に師事するも、作風に疑問を感じ、露伴から離れて、当時女性には珍しい言文一致で作品を書き始め、各新聞に発表。同時に女優としてもなかなかだったらしく、自分を持ち続ける力の深さに驚く。30代で書きまくつています。

 

青鞜社の創設にも声がかかつたそうですが、賛助会員止まりに。彼女は働かなくてはならず、裕福な女性の多かった青鞜社は、ちょっと違いを感じていたらしい。とはいえ、青鞜社の創刊号には「生血」という作品を発表。創刊号ではプロの作品は彼女の作品だけだつたらしいけど。

 

作家としての行き詰まりを感じることもあつたといいますが、中央公論や新潮などに田村俊子の特集が何度も組まれていて、著名な作家が並んでいて、注目されていたことがわかります。

 

亡くなって後に、田村俊子賞が創設され、第一回は瀬戸内寂聴の「田村俊子」。彼女が田村俊子のことを書くと決めるといろんなとこから連絡がきたとか。人気者だつたことがよくわかる。こんな時代にあつて生き抜く気力に脱帽するばかり。

 

次回は10月.樋口一葉の「たけくらべ」を取り上げます。f:id:office2b:20230730123205j:image