7月22日開きました。
戦下の中で生きるとはどういうことだろう。現実にロシアのウクライナへの侵攻、世界で紛争が火を吐く。改めて制約の多い中、自分を通して書き続けた女性作家に思いをはせました。
日露戦争、第一次大戦、満州事変など戦争の中の生涯で、自分の感情をぶつけるように作品をだし続けた田村俊子。
幸田露伴に師事するも、作風に疑問を感じ、露伴から離れて、当時女性には珍しい言文一致で作品を書き始め、各新聞に発表。同時に女優としてもなかなかだったらしく、自分を持ち続ける力の深さに驚く。30代で書きまくつています。
青鞜社の創設にも声がかかつたそうですが、賛助会員止まりに。彼女は働かなくてはならず、裕福な女性の多かった青鞜社は、ちょっと違いを感じていたらしい。とはいえ、青鞜社の創刊号には「生血」という作品を発表。創刊号ではプロの作品は彼女の作品だけだつたらしいけど。
作家としての行き詰まりを感じることもあつたといいますが、中央公論や新潮などに田村俊子の特集が何度も組まれていて、著名な作家が並んでいて、注目されていたことがわかります。
亡くなって後に、田村俊子賞が創設され、第一回は瀬戸内寂聴の「田村俊子」。彼女が田村俊子のことを書くと決めるといろんなとこから連絡がきたとか。人気者だつたことがよくわかる。こんな時代にあつて生き抜く気力に脱帽するばかり。