好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

伝わる心

長野のお酒をいただきました。濃紺の二合瓶。ラベルには手作りの和紙に「ありがとう」の筆文字。私の編集する雑誌の読者で書家のSさんから。五十代です。瓶の口を覆う濃い緑の和紙も、それを縛る紐も手作り。和紙を使った洒落たデザインの箱もそう。東日本大震災被災支援のひとつとして製作したものです。
これも支援のひとつとして製作したポストカードの一枚には、「豊」という文字の回りに「一粒の種をまく、希望という種をまく」とありました。
いろんな人がいろんな形で動いている日々。書家の彼女の、作品を見て、字の持つ大きさ、強さを改めて感じます。
さきごろ開いた支援のためのイベントでは、畳一枚の紙の中央に彼女が一字を大筆で書き、その周りを何人もの人が被災地への思いを筆でしたためていました。字をたどると、それが自分の気持ちだったと迫ってくるから不思議です。
Sさんと会ったのは二年ぶり。今私たちの世代は家族に、自分に、大きな波が追いかぶさっているときかもしれません。第二の人生の謳歌なんて、どこの話って感じ。彼女もその真っただ中にいました。周りが意に反して常にざわつき、足をすくうものが幾つも。「気にしない、私は私」と自分をなだめ切れない胸のざわつき。そこをどうすり抜けていくのか。手前でちょっと足踏みするのか、背を向けて退くのか。  難問ですが、これまでの人生が答えを出してくれます。だってダテに年とってないもの。
Sさんは「気持ちが定まっていないと文字は書けない。ウソになる」と、目をそらさず、思いを筆に落として進んでいました。だから、書が見るものにものをいうのでしょう。
私が退職したとき、彼女が風呂敷用の白い布に書いてくれたのが「いまあるということは、きのうがあったということ。いまあるということは、あしたをつくるということ。いまあるということは、歴史のなかにいるということ」の文字でした。
 主宰するフリースペースに飾っている額にはひとこと、大胆な筆で「予感がする」。いろんな予感を楽しんでいます。