好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

脱原発の映画

「私は力のない者ですが、なんらかの形で行動に移すよう努力したい」。七月二十八日に行なったフリースペース「すてーじ・刻」主催(清瀬市後援)の「脱原発映画『みえない雲』の上映と講演」に参加した若い母親の感想です。
 会場満杯の七十五人も参加。
映画の原作はチェルノブイリ原発事故後、ドイツの小学校教師(現在作家)が「子どもたちも知る権利がある」として書いた児童小説です。講演は、小説を翻訳した高田ゆみ子さん。ドイツが、小説を小中学校の副読本にして二十五年にわたって読み、討議してきたことで脱原発の世論の原動力になったこと、それに反して日本は事故後も副読本として原発を容認する教材を学校に配布していることを指摘。  教育のもたらす影響を警告しているだけに、若い人にぜひ来てほしかった。
 でもどう宣伝したらいいか分からなかったとき、二歳の子どもをもつ母親・Aさんが訪ねて来ました。地域で「放射能から子どもを守る会」をつくっていて、ブログ、ツクッタ―で紹介していいか、それにはぜひ保育室を作ってほしいと頼まれました。「保育あり」で企画をしたことがなかったため、不安な顔をしたところ、「保母さんもオモチャなど備品もすべて用意するので任せてほしい」と迫られました。
 彼女の行動は素早かった。連日チラシをさまざまなところで配り、彼女の熱意に押され、当日はボランティアも含め保母が五人も。預かったのは一歳から二歳の子ども八人。
 ある一歳の双子の母親は事前にこんなメールをくれました。彼女もAさんの会に参加するひとり。「ただちに影響はないといった枝野官房長官の発言を鵜呑みにし、原発放射能の知識がなく子どもを被ばくさせてしまったかと後悔している。市民活動はしたこともなく、ごく普通の主婦だったが行動を始めた。企画して下さりありがたくて」。
 彼女は姉を癌で亡くし、白血病だった兄がいます。
 討論では福島から避難している五十代の母親も発言しましたが、三歳くらいの子を連れた息子夫婦(?)も一緒でした。