好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

宮沢賢治の心

作家宮沢賢治の詩「雨ニモマケズ」に、「行ッテ」という言葉が三回も出て来ることをご存じですか。
「東二病気ノコドモアレバ 行ッテ看病シテヤリ 西ニツカレタ母アレバ 行ッテソノ稲ノ束ヲ負ヒ()
さらにこれが書かれた賢治の手帳の余白には、赤鉛筆で「行ッテ」と書き込まれています。
賢治がこれを病床で書いたときは、大不景気、東北の農村は大凶作のさなか。賢治について著作の多い三上満さんは「賢治はどんなに苦しむ人たちのところへ行きたかっただろう、行きたいけど行けない。行けないけど行きたい。そんな気持ちが『行ッテ』を四回も書きこませた」とし、賢治のこの心を「行ッテの思想」と名付けています。
それがおおいに見られたのが大震災。全国の人たちの心に湧いた「行ッテ」の思想。行くことが出来ない人もその心と痛みを分かち合いました。
実は今、「行ッテ」の思想が、私の主宰するエッセイ塾や女性の集いで話題になっているのです。なぜ集団的自衛権なのかという怒りとともに。
そこで近著『賢治の旅 賢治への旅』を中心に三上さんにインタビューしたのですが、改めて賢治の作品が「行ッテ」の思想に貫かれていることを感じました。見返りを期待せずに星空の平和を取り戻したい一心で奮闘する星たちの姿を描く『双子の星』、人間界の戦争を揶揄した『烏の北斗七星』、住民を守るために命を捧げる『グスコーブドリの伝記』等々。いずれも平和のために身を賭して努力すること、あらゆる命を慈しむことで満ちています。
 三上さんは憲法九条が制定されるなかでの議論もひいて「日本は、戦争をしない国になるだけでなく、地球の平和のために世界の先頭に立ち、真っ先に努力する国になろうと話し合われた。むしろ九条を持つ国として世界で争いがあれば『行ッテ』調停すべき。それができる責任も資格も日本にはあるのだから」と話しました。
私達も「行ッテ」話して、伝えていかねば。