フリースペースの「女性作家で楽しむ読書室」は元司書のCさんの語り口の魅力あってこそ。小野小町にはギョッでした。
その様子をCさんの話から少し。小町が百人一首で後ろ向きに描かれていのは、あまりの美しさに絵師が顔を描けなかったからとか。
でも本当に絶世の美女だったの? どうやら紀貫之の「昔の衣通姫の系統である」との記述に由来があるようです。「衣通姫」とは、古事記、日本書紀に出てくる伝説上の美女。その流れなら絶世の美女に違いないということで、後の世の人がまつりあげたのでしょう。
それにどうしても小町に絶世の美女になってもらわなければならない人たちがいたそうです。鎌倉・室町時代に仏教を民衆に広めていくお坊さんたち。絶世の美女でも老いれば醜くなり、頼る人がいないと諸国を乞食して歩くしかない。死んでしまえば、悪臭を放ち、白骨になるから現実の栄耀栄華なんて虚しいもの、と説いて歩いたのです。
「九相図」までありました。小町が死んでから白骨化するまでの九つの段階を克明に描いたもので、老婆になった小町の彫像もあります。
「深草の少将の百夜通い」は有名です。断っても断っても迫って来る彼に、「百夜、一日も欠かさず通ってきたら思いをかなえてあげる」と小町が約束するのですが、九十九夜に、病となり代役をたてたとかでパーに。世間は「身分の高い貴公子に百夜も通って来いなんて高慢ちきな女だ」となじりますが、ここは後世の創作ではないかとCさん。
「だって比叡山のお坊さんの千日回峰行に比べても、かぐや姫の難題に比べても、そう非難するべきこととも思えないもの」。しかり。
この話は後に謡曲や歌舞伎になっていて、七小町と呼ばれる謡曲には、小町がさまざまに描かれています。そのひとつ。ある僧が野原を歩いていると「痛いよ~、痛いよ~」という声がする。探すと白骨化したしゃれこうべがあり、目の穴にススキが生え風が吹くと葉がこすれて目が痛いと言う。ススキを抜いて供養してやるのですが、それが諸国を乞食をして歩いた小町がこの地で命を終えた跡だったとのこと。
「絶世の美女の成れの果て」に人々は涙を流したものの、「私は美人でもなく、卑しく貧しいけれど、こんな高慢ちきな女にはならないわ」と胸を撫で下ろしたとか。
でも小町ってほんとに高慢ちきなの? だって男は功名心のために彼女に近寄ったかもしれないし、お坊さんだって、「女は男の言いなりになるべきだ」とでも考えていたのかしら、とCさん。
小町が諸国を放浪したという話には、その頃の世情が反映していました。女房として宮仕えした女性たちは、宮廷勤めをしている間は華やかで貴公子と恋もしました。でも老後の保障はなし。結婚して子どものいる人は安泰ですが、諸国を放浪する女性も多かったようです。
小町に限らず誰でも、保護者のいない女は老いて路頭に迷うという世の中だったのです。