人を動かすのは言葉です。どんなに相手を思っていても、伝えなければ分かりません。そのひとことが人生を変えることがあります。Aさんの「ひとこと」は、母を亡くしたときもらった知人の手紙とたまたま目にした詩でした。
実家は阪神淡路大震災の激震地区。実家は全壊で、震災後の母親の生活がもっと違ったものであれば、今も元気に暮らしていたのではないかと思っていました。住むところを失った母親は仮設住宅にも復興住宅にもなかなか当たらず、結局Aさん家族が住む狭い賃貸マンションに住むことになりました。
周りからは、「娘さんやお孫さんと住めてよかった」と言われても、母親にとっては肩身の狭い生活。やっと復興住宅に当たったのは、胃がんのためあと半年と言われた時。家具や台所用具を買い揃えたものの、新しい家にはほとんど住むことなく入院。子どもたちをを気遣って潔すぎるくらいにあっという間に逝ってしまったのです。
人に迷惑をかけないように生きてきた母親の、最後の最後も自分で決めたような終わり方。悔いる気持ちがずっと拭えませんでした。
手紙には、子が親を思うよりも親が子を思う気持ちが強いと書かれていて、亡くなってもなお「いいよ」と受けとめてくれているとわかり、気持ちがほぐれていきました。
また同時期に目にしたのが詩人野田寿子さんの「母の耳」。病床にあっても娘を慈しんでいる母親を詠んだものでした。
この病室にやってきて/日がな一日語りかける私に
相槌を打つでもなくたしなめるでもなく/朽ちた木彫のように/うごかぬ母
その腹を膨らませ/はらわたをねじり/血ぐるみひきずり去ろうとする力に/耐えている母
意識は白々とほとび/もはやただよいはじめ/ときどき見開く目の行方を/知るすべもない
その顔に/わたしはなおも話しつづけ/さて帰ろうとするうしろから/かすかな声が追ってきた
〝またおいで なんでも聞いてあげるから〟
一瞬うしろ手にドアを閉じ/
恥じて立つわたしの行手に
耳だけになった母が/じっと佇んでいた
自分が母となる立場になって、いまさらながら母の優しさが身にしみたと言います。