好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

老いていくこと

先日会ったAさん(72歳)の話は年齢を重ねることについて考えさせてくれました。

彼女は最近特に写真に映るのを避けるようになりました。化粧するときの鏡の中の自分は結構まあまあで同年代の女性より若く見られている気がしていたのですが、ある日、スマホで自撮りしていて愕然。顔の下方から見た自分でした。

垂れた眉、目はくぼみ、口元をおおう深い何本もの皺、よく見ると唇のすぐ上に細かく並ぶ縦線。これじゃ梅干しばあさんだ。

ああ似てる、そこにあるのは母親の顔でした。

それに輪をかける出来事に出会ったのは、腰痛治療のため自転車で病院へ向かっているときでした。狭い道なのに誰もいないかのように自動車が、すぐ側を走り抜けていく。怖がってフラフラしていたのでしょう。追い抜く車を避けた拍子にバランスを失い、通路側に倒れそうになってしまいました。

すると「大丈夫ですか」と駆け寄って支えてくれたのが年配の女性。ふだんは駅や道等で手を貸すことが多いのに、自分が助けられてしまった。しばし茫然と立ち尽くしたAさん。

昨年亡くなった母を思いました。晩年は目が見えなくなり、手伝いに通ったAさん。いつも「どうなってしまうのかねえ」と不安を口にした母。

手すりに頼って家の中を移動できるものの、終日こたつの前に座ったまま。あるとき、仏壇のお茶を取り換えようとして転んだものだから、よけいに動かず座っていろということになってしまいました。

Aさんの作った簡単な食事をすすめると、「すまないねえ」が何度もこぼれてきます。

と、何かつぶやいていました。料理下手の私への文句? と憮然としたら、「私が、台所に立てたらねえ」

 料理が大好きだった母。母は人に世話にならざるをえない辛さを抱えて生きていたのです。Aさんは忙しいのにやってあげていることに満足して、できていたことがじわじわ取り上げられる怖さ、憤り、淋しさを分かってあげていなかったのではないか。それは自分が助けられる身となって、初めて分かったのです。

 病院から帰ると娘が心配し「私がなんでもやるから大丈夫。無理しないで」と慰めてくれたものの、素直には聞けません。老いていく寂しさは到底分からないからです。