好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

死に方

「おひとり死」とは「ひとりの状態」で死を迎えることをいう。この言葉を使ったのは作家松原惇子さん。同世代。インタビューして共感することが多々あった。寂しい死に方ではなくて普通の人の死に方だ。家族は少ないし、結婚していてもどちらかが先にいなくなってしまうわけだから、誰もがひとりで死ぬ時代が来たのだという。
 ではどういう状態で死にたいのか。松原さんいわく、「死後三日後には発見されるのが多くの熟年女性の夢」らしい。どんなにひとりのときに素敵にきていても、最後がウジ虫に這われるのでは、人生帳消しになる。死んだ後のことは分からないのだといっても、避けられるものなら避けたい。
 
「腐乱死体になるのはイヤ。近所にも遠い親戚にも迷惑が及ぶ。死後三日後くらいに発見されて人に迷惑かけないで逝きたいわ」ということらしい。
なんで三日なんだ? 深く考えずに先にいこう。
 では死後三日以内に遺体が発見されるためにはどうするか。その前に、どんどん体は滅びていっていることを知っておくことが必要で、松原さんの話を聞くと、少しでも若くみせようと無理な努力をしていらっしやる方はヒヤッとするかもしれない。
 茶飲み話で、「あなたは大丈夫、元気だしぼけないわよ」と話題にするが、ぼけないかもしれないが体は朽ちていくし、誰もがいつまでも同じ状態ということはなく、本人の意思や考え方の及ばない自然の法則に従うしかない。
みんなそれを認めるのが怖いのだろう。でも体が滅びていかないと死ねないわけ。
茶飲み話の話題でもうひとつ、死に方に集中するクセ、どうにかならない?
 「路上で行き倒れて死にたくない」「風呂で倒れてぽっくり逝きたいわ」。最後がどうなるか、ここは自分がどうにかできる領域ではないのに。
考えても仕方がないのに。松原さんは「結論がないし、どうしようもないことだから面白いし、こういう風に死にたいという夢だから楽しいんでしょうね」と話す。
どうなるか分からない命のことを、あれこれ考えるのは無意味なこと。「どういう死に方でもいいではありませんか。生まれてきてしまったら命の営みにまかせて死までいくしかない。そう思うようになってから、老後や死を恐れるのではなく、まだ死んでいない今の自分、まだひとりで暮らせる機能がある自分を十分味わいたいと思うようになりましたね」。納得する。