ちょっと後悔しています。退職後決めたひとつはできるだけ葬式に出ないこと。だって、もうその人には会えないし、知らない人と混じっても仕方がない。静かにその人に思いをはせることにしていました。
それなのに一本の電話で吹き飛んでしまいました。「母(65歳)が昨日亡くなりました。亡くなったとき知らせてほしいというメモにお名前があったので」と息子さん。「お別れ会をします。いつがいいでしょう」と尋ねられ、最優先で日を取り、大雪の秋田に朝五時起きで向かいました。
業界の幹部であったその人とは取材して気があい、会議で上京してくるたびに飲む間柄に。常にチャレンジする姿勢、考え方が斬新で、名工といわれる技術をもちながら貪欲に学び、惜しみなく技術を伝える姿に惹かれました。一方で業界の今後に悩み、ボルテージが上がると、あれこれやり玉にあげ、気勢をあげたものです。たぶん門外漢の私にだから言えたのでしょう。
ガンとたたかいつつ、技術がすたれることを無念に思い、裏方に徹して新しい組織を作ったばかりでした。
行きの新幹線では、飲み友達だから面白いはず。指名されたらああもいおう、こうもいおうと思いめぐらし、美容院にまで行ってしまった私。
ところがお別れ会では県会議員と市会議員らが送る言葉を読み、献花も彼らだけ。な、なんなの。その他大勢には献花もさせないわけ?。「あとはご自由に」なんて言われたって、私しゃ誰も知らん。
彼女のいろんな面を知りたくて来たのにと思い直し、周りに声をかけると「あなたみたいな人がいてくれてよかった」とむしろねぎらわれ、グッときてしまった。
本当は秋田弁が分からず、名詞を必死に拾っていたのですが。
主宰する自分史塾・エッセイ塾では、死んだら自分に香典はもらえないんだから、せめて本にして「ここまで頑張れたのはあなたのおかげ」と友人に差し上げることをすすめています。自分の意思がちゃんと伝わるから。刷るのは友人の数だけでいいのです。
そうだ。くれぐれもメモを残さないようにしなくては。