紙芝居「おかあさんのうた」を見ました。紙芝居をやってくれたTさん(七一歳)の実話です。
この母は二人目の母でした。生まれたとき実父は戦死。Tさんが生後三カ月のとき過労で亡くなった実母が近所に住む新婚の若夫婦に託したのでした。若夫婦は戸籍に長女として迎えてくれました。
その後再婚した父。三人目となった母は、実子でないことに非常にこだわり、「世間体があるから仕方ない」と言われ、六歳から息を殺して暮らす日々が続きます。
助けてくれた母のことを知りたい。募る思い。
でも父に尋ねるのもはばかられ、空襲のことを調べ始めたのは戦後五十六年目。しかし防空壕で亡くなった四十数人を知る手立てはどこにもありません。
戦争とはそういうものなのです。
いろんな人が動いてくれ、ある人は全市の家を一軒一軒訪ねてくれたのです。その人もあきらめられなかったのでしょう。
これが最後と訪ねた八百屋でTさん母子を知っているという娘さんが分かり、当時を知ることができました。その娘さんは翌年病気で亡くなったためこのとき会えたのが奇跡でした。
Tさんは紙芝居文化の会の一員として、地域で各地で紙芝居の普及などに取り組んでいます。「当時私のような子どもがたくさんいた。私は幸い引き取ってくれる人がいたから生き延びたけれどあの子たちはどうなったのか。そういう子どもたちが出るのが戦争なんです。紙芝居は平和を願って演じていきたい。記憶している人が伝えていかないといけないから」。
Tさんにはまだ心残りがありました。五歳上の兄がいるらしいのです。亡くなった母だけが知っていたようで、Tさんを引き取ったとき姿を見たのでしょうか。兄はどうなってしまったのか。自分の本名が分からないため、探すことができません。