好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

オリンピック

 人生のアクシデントにどう立ち向かうか。それまでの自分が試されるのでしょうね。
日本人史上初の夏・冬のパラリンピックで金メダリストになった車いすランナー・土田和歌子さん。高校二年の交通事故で脊髄損傷により下半身不随に。リハビリのなかで障害者スポーツと出会います。
聞いていると、負の場面に突き当たると、「受け入れてすすむ」姿勢で乗り越えている気がしました。
 事故後復学を希望した土田さん、母子家庭では送り迎えの手助けがままならないため運転免許を取り、車通学の意思を学校に伝えます。ところが学校も教育委員会も前例がないと拒否。でも粘って無事高校を卒業します。
長野オリンピックを目指したのは都職員のとき。近くに練習場がありません。休日に山梨のスケート場で深夜トレーニングして夜行バスで早朝東京に戻り、そのまま出勤。そして金メダルを獲得しました。
 「一生懸命やるときはやらないとだめ」と土田さん。次のアテネでも金メダルをとりました。
次の挑戦は出産でした。脊髄損傷での普通分娩の事例は少ないものの、「残っている機能を生かして生みたかった」。それが子どもと頑張る最初の行為だったからです。そして無事出産。
次は、怪我とのたたかいでした。北京オリンピックで前を走っていた選手の操作ミスにより横転。倒れたところに他の選手が乗り上げ、二カ月入院するはめに。「レースは生きもの。そこに居合わせた自分を受け入れることだ」とすすんできた土田さんですが、成績が響くスポーツの世界、所属事務所を解雇され、このときばかりはこれからどうやって生きていくか悩みます。
答えをくれたのが入院していた病院の日々。ホスピスの患者さんや出産に出会い、考えます。
「人生はどう生きるかこそ大切。今の自分にできるのは自分の可能性を信じること」と。
そしてロンドンオリンピックで入賞をはたします。
「あきらめない気持ちが力に変わっていく。いつも今日の自分に勝ちたいと思う。それが自分を受け入れることでもあるから」