好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

ベトナムのドクさんに会う

八月十日はアメリカがベトナム枯葉剤の空中散布を開始した日。ここから十年間、枯葉剤は撒き続けられ、数百万のベトナム人、米国、韓国、オーストラリア等の兵士が浴び、死者が続出しました。猛毒ダイオキシンは遺伝子を破壊し、今も障がい児、奇形児、体が結合している子どもが生まれており、被害はずっと続いているのです。
この日、ベトナムで結合双生児として生まれ、七歳のときに分離に成功したグエン・ベトさんに会いました。もう三十三歳。公務員として働く二児の父親です。
きっかけは私の主宰する女性誌の読者で料理研究家Mさんが、ドクさんが自宅に泊まっていると知らせてくれたことから。「どうして?」と尋ねた私に送ってくれたのがこの日、品川区で開かれた「ベトナムダイオキシン・デー」の集会のチラシでした。ここに参加するために東京に来ていたのです。
満員の会場の入り口で、声を上げて物売りに徹する彼女は、仲間と枯葉剤被害者支援募金とアメリカの戦争責任を正す署名を携えてベトナムへも行っています。前日開いた地域での歓迎会では腕を生かして弁当づくりを担当。仲間と作った料理は「生はるまき、焼きはるまき、野菜の炊き合わせ、ゴーヤの佃煮」。ベトナムと日本の合作料理というところ。今夜はドクさんの希望でカレーだとか。
若いころはベトナム戦争反対、沖縄返還闘争のただなかにいた彼女。黙ってはいられないのです。彼女の仲間たちもほとんど同世代。「何も片付いていないのに原発を輸出するなんてとんでもない。ベトナムに売り込むなんて、とても許せない」のです。
集会ではこんなことも紹介されました。アメリカは日本を降伏させるために広島と長崎に原爆を落としましたが、枯葉剤を都市周辺の水田地帯に撒こうとしていたというのです。もし終戦がもうちょっと遅れていればどうなっていたか。しかも今もなんとか枯葉剤を使おうとねらっているというのですから、誰だって黙ってはいられません。