好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

私ごととして考えよう

あまりに問題が山積みの、今の日本。怒り狂っているでしょうが、ちょっと考えてほしい。本当に自分のことのように思えてるの?
 たくさんのことに首を突っ込んでいるSさん(六二)。それには理由がありました。サハリンの残留婦人の問題に取り組むようになったのは、残留婦人が、自分と同じ長女だったことにありました。
サハリン(樺太)は戦前は日本の領土で自由に行き来していたものの、敗戦でソ連領となり帰国への道が閉ざされたところです。日本人であることを隠して暮らし、長女にあたる人は家族を守るために1415歳で結婚。やっと帰国事業が始まり帰れると思いきや、彼女たちは現地で朝鮮や韓国の人と結婚していたため帰国できなかったのです。結局長女だけが残され親や兄弟は帰国するという事態に。「もし同じタイミングで樺太に行っていたらそれが私だったかもしれない」とSさん。
 サハリンの残留婦人のことはあまり知られていません。情報がない。するとないものとされてしまう。「でもそれを忘れたらまた同じことを繰り返す。ないことにしない。歴史をないことにしてはいけない。それが一番大事」なのです。
 水俣病の問題に取り組むきっかけは、四十歳のとき、同じ歳の胎児性の患者さんに会ったことからでした。その方は亡くなりました。自分は東京で、高度成長を支えるさまざまなものを享受して生活している。彼らはたまたま水俣に生まれただけ。それなのに全く違う人生を送っている。Sさんにとってはこれも私ごとだったのです。
もし水俣に生まれていたら自分だってそうなっていたかも知れない。「そういうことを想像できるかどうかが大事なのではないでしょうか。私ごとにできるか、そうできる想像力を持っているのかどうか」
 私たち一人ひとりが出会ったところで関わって行く大切さを指摘します。被爆した方、原発事故にあった方、戦争で身内を殺された方~。出会ったところできちんと関わっていくことが間違わないで生きていくための指標になっているのではないか。襟を正される思いがしました。