好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

脅迫性障がいの息子さんと

コロナ禍の中、日々のなにげない暮らしの大切さを実感した方も多いと思いますが、そのことを改めて教えてくれたのが、脅迫障がいの息子さんを持つ女性でした。編集中の雑誌に掲載した記事より紹介します。

 

 ・手洗い、入浴にひどく時間がかかる・戸締まり、ガスの元栓の確認を延々と繰り返す・頭の中で確認ばかりして作業が進められないー。

 

 誰でも少しは心当たりがあることですが、ばかげていると分かっているのに、やめたくてもやめられず、日常生活に支障を来たすのが強迫性障がいです。進むと登校できなくなったり、出勤できず、ウツの症状になることもあるそうです。

 

強迫性障がいの息子を持つこの女性は、交流することでこの病気の親子か孤立しないようにと、会を立ち上げ、言いたいことが言える場を作っています。

 

息子さんは小学生の頃は空手や野球をやる元気な普通の子でした。ところが大学生になったある日、アルバイトから帰ると、「お客さん(の飲み物)に毒を入れた気がする」と伝えたのです。

 

晴天の霹靂。病院で薬をもらい、服薬。そのうちバイトや遊びやらで薬も忘れるほどになっていたのですが、会社の内定をもらった頃からは内定を取り消されないためには犯罪者になっては困ると加害恐怖が悪化。誰かを傷つけるかも知れないと、大学のトイレにも入れないし、自動車の運転もできません。

 

友人の助けもあってなんとか卒業できたものの、就職先の土地に引っ越してからは毎晩息子から「人を殺したかも知れない」と泣きながら電話が来るようになり、結局入社式にも部屋から出られず、入社は辞退。地獄のような状況になっていきました。

 

何度も「人を殺して隠したかも知れない」と息子は一緒に物置を見に行くよう要求し、「一生このままなら生きていたくない。殺してくれ」と訴える日々。

同じ年頃の若者がコンビニで買い物する姿に会うと、なんで自分の子は普通の生活が出来ないのか苦悩が続いたそうです。

 

なかなかいい治療が見つからず、やっと見つけた医師から「強迫行為には手を貸さない強い意志を持ち、まず家族が変わることが大事」と助言されます。それまで症状が出る度に「大丈夫だよ」と言っていたのですが、「人を殺したかも」と言うと「血だらけで倒れているかもね」と突き放すことにしました。

すると息子はパニックになり、泣きわめき、その姿に耐えられず、彼女はトイレに閉じ籠もったこともあったそうです。

でも巻き込みを回避するうちに息子自身が病気を治したいと思うようになり、症状が改善してきて、今は好きな仕事をできるまでになったと言います。

この女性が、みんなが悩みを言えるように会を作ったきっかけには、当時、80代の父親が40代の強迫性障がいの長女を殺す事件が起こったこともありました。長女は中学の頃から菌に敏感になり、何度もの手洗い。個別包装の菓子で命を繋いでいて体重は25キロだつたそう。家の中は長女が捨てる事を許さなかったゴミで足の踏み場もなかったといいます。犯行の引き金は、体の具合の悪くなった母親の通院を長女が許さないことでした。

 

この女性は「父親が追い詰められる前に支援ができなかったのか悔やまれて。人は生きている限り健康でいる事は無理。どんな人も心の病になるのに日本では精神的な病は偏見で見られがち。でもその苦しみの深さ、回復への困難の体験は必ずしも不幸ではなく、病を得たからこその気づきがあるはず」と言いつつ、家族のなにげない暮らしの大切さを実感したと話していました。