好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

「私ごと」にする

五輪を振り返る菅首相の言葉や、IOC菅首相小池都知事らに表彰たるものを与えたことを見ると、国民の思いとの格差の大きさを感じます。ボランティアで詰め続けた医師や看護師たち。「そこに困っている人たちがいるから」と淡々と語るこの方たちがいてこそなのにー。

事態をいかに「私ごとと」して捉えるか。最近の事態に、それこそがキーワードのような気がします。以前取材した、水俣病事件に取り組んでいる女性を思いました。元アナウンサー。

水俣病の取り組みでたまたまボランティアでナレーションを担当した彼女には、そのときはまだ水俣が「私ごと」ではありませんでした。それが「私ごと」になったのは、自分と同じ40歳の胎児性患者さんたちに会ってからです。

たまたま水俣に生まれた。これだけの違いなのに、自分は仕事も生活も充実した40代を迎え、胎児性の患者さんたちは仕事をすることもできず、それどころか40歳にしてすでに老いと戦っている。もし自分が水俣に生まれていたら水俣病事件は「私ごと」になったはずだと。

サハリンに残された邦人女性についても取り組んでいる彼女。それが「私ごと」になったのは、残された女性の多くが長女だったからです。

当時、長女は父親を戦場にとられた一家を支えるため14、15歳で嫁に出されました。結婚した相手が母や弟妹たちの面倒もみてくれたのです。結婚相手の多くは当時樺太にたくさん住んでいた朝鮮人や韓国人。終戦後、朝鮮・韓国人は引揚対象外となり、すでに家庭を持ち、子どもを育てていた長女は残らざるをえなかった。

「 長女」の自分がもしその時代に樺太に生まれていたら、ひとり残されたはず。残留した日本人女性は自分だったかも知れない。

私ごとと捉える想像力をもてるか。それがとても大事なときだと感じます。