好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

夫婦について

3月、「夫婦」をテーマに「女性作家で楽しむ読書室」を開きました。取り上げた作家は円地文子田村俊子宮本百合子田村俊子宮尾登美子など。
円地文子の描く、心は夫の不貞に煮えたぎっても、そんなの気にしない、気高く生きるのだと言い聞かせるものの、後年になって自分のために生きなかったことを後悔する女性像、一方で宮尾登美子が描く、男と女の形がどうあろうと、相手に期待せず、いいと思う生き方を貫く女性像、それぞれを対比してみました。
ただこれらの作家の時代は女性の仕事はほとんどなく、人としてもみられていない時代。苦悩が男女のあり方を決定づけているかもしれません。
今に通じるのが三枝和子の『雨の中』。どこにでもある普通の夫婦の、分かりあえないもどかしさ、寂しさがうまく表現されています。
「夫は私の意見に否定も肯定もしない。最近とみに言葉が少なくなり、何を考えているのか分からないが、深く追求しないことにする。夫の心をくまなく知りたいと思い、こちらの心もくまなく知ってほしい、同化したいと思い、同化させたいと思った若い日の一種の苛立ちのようになものがなくなって、『ふうん』で時が過ぎていく。その上日常生活の慣れで相手が何を望んでいるのかおおよそ分かる。それ以上相手との交流を求めると破たんが生じることが直観的に把握されて以来、こうなれば一種のテクニックである。こちらがテクニックを駆使している以上、相手も何かテクニックで生活を維持しているに違いない。しかしテクニックを成立させている相手の精神構造には立ち入らない。立ち入ることは一種の禁制だと気付くのに三十年以上かかってしまった」
そして夫が自分の女友だちの名前を覚えないことをチクリといじわるく指摘し、「無関心なのか。そんなふりをしているうちに本当に無関心になってしまうこともある。こちらもそういう夫の心の動きには立ち入らない。立ち入ると理解してほしいという願望がわく。共同生活において、この理解してほしいという願望ほど厄介なものはないので、ここは避けて通る」
さていかが? 思い当たることがあるかもしれませんね。