好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

夫婦とは

夫婦は相手のことを知らないまま暮らせるのかもしれません。年齢が重なれば、互いに何も言わなくても一応の用事は足りてしまう。
 気分転換や刺激には、気の合う女友だちがいれば十分。「夫とでかけるなんてとんでもない、茶の間がついてくる」と即座に否定というわけ。
B子さんもそうでした。五十歳を過ぎても、いざとなれば離婚、というのが心の支えでした。
「玄関までの民主主義」の夫。働きつつ娘二人の世話をすべてしょい、だんだん夫に助けを求めることもやめ、「いつかは離婚する」が励みにさえなっていました。
暴力もありました。「人のためにやっている」ことが「その人に通じない」「見返りがない」ときの夫は、情けないほど自虐的になり、B子さんに当たります。
しかしB子さんは職場でも親にも、夫の「正体」は一切口に出さず、ばれないように気を使ってきました。自分が責められるのを恐れたのです。
娘たちが独立。チャンス到来。
ところが夫は病いに倒れ半身まひに。予想外の展開に「仕方なく」看病の日々。放りだしたくなることは山ほどでした。
そして五年目。夫は亡くなります。B子さんは、なぜか虚しさ襲われました。日が経てばなんとかなると自分を諭し、遺産相続の手続きなどをすすめている最中、夫に息子がいることが分かりました。先妻との間の息子S氏です。夫は全く教えてくれませんでした。
急ぎ出した手紙の返事は、S氏は難病で手足が不自由なため、彼の息子がメールでくれたもの。S氏は父親の名前だけしか知らず、どういう人か少し知ることができてありがたかったとのこと。S氏の協力があり、遺産関係の手続きもスムーズに運び、全て終わったある日。娘に「Sさんが優しい人でよかったね」とひとこと言われたB子さん、長年つっかえていたものが溶けていくようだったといいます。 夫との確執を持ち続け、S氏の存在を知らなかった母親だったのですがー。
B子さんはそれから二か月後、娘たちの提案で、娘たちと夫の生家へ分骨の旅に出ます。結婚以来何十年も足を向けなかったところでした。