好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

落合恵子さんにインタビューしました

二十五年ぶり。クレヨンハウスで会いました。ますはコロナ禍の話。

 

「社会的距離をとれと言うけど今までの社会だってうまくいかなかったときは社会的距離をとってきたはず。ディスタンスは一定の距離をとる人間関係もあるけれど、強引にとらされるものと問い直しをした方がいいのではないか」と話します。

 

人と人が親しくなって語り合うことを避けるのは、戦時中も、福島原発事故の後もしかりでした。原発の怖さについて話すことがタブー視され、悩んでいた小さな子を持つ母親たちに会ったと言います。

 

注意深く、現在と過去と未来を見ていかなくてはいけないと言う落合さん、政権のおかしさにもよく意義申し立てをします。大来なひとつがデモにさんかすることです。

 

「やってどうなる?」と言われるものの、おかしいことにおかしいと言わないで、「どうなるの?」と聞き返したいと話します。

次の世代にあきらめること、後ずさりすることを見せていくのか、それは大人として耐えがたいのではないないかと。

 

さらに強調したのは、今の時代、コロナ禍もしかり、人種差別の問題が世界の大きなテーマになっていること。

その社会でより声が小さい人が辛い思いをしなくてはいけないのはおかしいと指摘して話したのは、東京オリンピックの次のメキシコオリンピッでのこと。男子200メートル走の表彰式で、黒人差別に抗議し、黒いグローブをはめた拳を突き上げた二人の選手のこと。優勝したアフリカ系アメリカ人のトミー・スミス選手と三位のジョン・カーロス選手です。二位人のオーストラリア人、ピーター・ノーマンも一緒に怒りを表明します。

 

ところがIOCはオリンピック憲章に反するとして即座に二人をアメリナショナルチームから除名し妻とともにオリンピック村から追放。一夜にして悪者扱いされ、帰国後はなかなか職に就けませんでした。

 

二人は、長い間アメリカスポーツ界から事実上追放され苦労したものの元気でした。

 

ところがノーマンは同僚選手から批判され、国のメダィアからも厄介者扱い。次のオリンピックの時、好成績を上げたにも関わらず、国がその競技には選手を出さないと決め出場できず、離婚、ケガ等で辛い人生を送ります。彼の葬儀にはスミスとカーロスが参列したと言います。

 

「今、こんなにもオリンピックオリンピックと言うなら、こういう話こそ取り上げたらどうなのか。いろんなことがどこかでつながっている気がする。全てが人権と命の問題なのですから」と話す落合さんでした。

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