好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

「向き合う」症候群

「向き合う」症候群という言葉があります。「最後にこれを出せば安心・安全だと思っているのではないか」と取材したTVディレクター。ドキュメント番組などで司会者に「この問題にこれからも向き合っていきましょう」と締めくくられると、「スタッフはこれで一丁上がりと思っているに違いない。なんと低レベルなことか」と著書で批判しています。

 私もよく使うので内心ヒヤッ。でもつい使いたくなるし、ピッタリすると思ってしまう。でもIさんいわく、「こういう時は注意しなければならない。便利な言葉を使うことで思考が停止していることが多い。そう言っておけば反対しにくいし、誰も反対しないマジックワードと化している」。要するにあんたはズルをしているんだというわけ。私たちの思考は常に省エネしようとしていることを忘れてはならないと釘をさしました。

私のエッセイ塾も、垢のついた言葉は厳禁です。透き通るように白い肌。えっ、肌が透けるの、気持わる~。可憐な花、えっ、そんな花売ってたっけ? 私の、いじわるなことこの上ないのですが、自分の目で見て自分の言葉で表現することをすすめます。

先日出した宿題は「音」。家の中にいて何がどう聞こえるか、音を拾うのです。小さな靴音、下校する子どもの歓声、シャッターの響き、冷蔵庫のうなり声。水の細くたれる音。私たちの日常は音の中にあったのですから。

 目の不自由なある女性作家の雨の日の表現は逸品です。空き缶に刺さる音、自転車にかかったシーツの濡れる音、ビニール袋に注ぐ音、軒先にぶつかる音など微妙に変化する響きで、彼女は雨が降っていることを感じ取るのです。私といったら「やだあ、洗濯物が濡れちゃう。雨って天気予報言ったっけ? もうウソばっか」なんて、味も素っ気もないこと甚だしい限り。

作家・清川妙さんがよく話していた言葉を思い出しました。『徒然草』の一節です。「悔ゆれども取り返さるる齢ならねば、走りて坂をくだる輪のごとくに衰えゆく」。

どうぞ思考を「奮い立たせて」。