12月のエッセイ塾ではモノを書くには五感を練る修業に心を配る大切さを話し、具体例を紹介。私の一番好きな 作家・三宮麻由子の作品です。耳が不自由な方です。味わってください。
あれは住宅地に降り注ぐ雨の真っただ中にたたずんでいたときだった。私
の耳に急にたくさんの音が飛び込んできた。
トタンの屋根、雨ざらしの自転車、転がっている空き缶、車にかけたシート、
大きな門。そんな街の景色に雨があたっていたのである。どれもいつもは私が
ぶつかるまで自分の存在を教えてくれないものばかりだった。
梅雨の雨は、その無愛想なものたちの存在を優しく音に訳して、私の耳に伝え
ていたのだ。トタン屋根にあたって短い余韻を残す雨、門柱に落ちてカーンと
小気味よく散る雨、路肩に転がった空き缶に見事命中してキーンと歌う雨。足
元のアスファルトにも一面に水滴が降り注ぎ、響きのない不思議な広さの音
をたてていた。
まるで地面が浮き上がっているかのようだ。自分から音をたてないために、ふ
だんは私にとつては無に等しい存在である街並み。それが雨の日にだけ世界
にたったひとつしかない楽器に生まれ変わり、次々と音を紡ぎ出しては私の
鼓膜にぼんやりと輪郭を表してくれる。
その輪郭を物語る音が空中で混ざり合うのを聞いていると、それまで想像も
できなかった、雨の日だけの特別な景色を楽しむことができるのだった。
私たちは視力に頼りすぎるあまり何かを見落としてはいないだろうか