集いで「話育」のことを話しました。食育と基本は同じ。会話で育てたい。育ちたい。食事や風呂で、喫茶店でもいいけれど、まずは相手の話をじっくり聞くことに尽きます。脳科学ではキレやすい子は小さい頃の会話不足、いわばコミュニケーションができないことが影響していると言われるとか。
エッセイ塾を開いて20年近くになりますが、モノを書くことは実は、自分が普段語ることばが土台にあって始まる気がします。これが貧弱だったり、聞くに絶えない下品なものだったら、感動するエッセイなんて、とてもとても。文を磨くということは、じぶんの中に潜んでいることばを磨くこと、常に研鑽するということなんでしょうね。
また人はことばを操っていると思いがちですが、どうも「人はことばにいたわられて生きている」とも言えそうです。不安なときはそれを癒してくれる語感のことばに惹かれるし、辛いときは、それを吹き飛ばしてくれることばを選んで使うようですから。だから娘が「ウッセェ、クソばはあ」と叫んでも、ああイライラを吹き飛ばしてるんだなあと笑ってやり過ごしましょう(そうもいかないか)
塾では視点がポジティブであることをすすめます。品があること、に通じます。かしこまったようで、引いてしまうと言われそうですが、単純なのです。批判ばかりしたり下品でないこと。下品な書き方は説得力がないからです。
ヨガに通っている生徒さんが「ヨガの先生は、身ぎれいにして品のいいことばを使っていれば暮らしやすいはずと教えてくれた」と話しました。
最近強気のエライ人が多いですよね。事実認識がなく、反省の全く見えない釈明ばかりの大臣。ことばの使い方がおかしいんじゃないの?
さらに私たち世代が気がかりなのが、電車や町で見かける、スマホに夢中で子どもに顔を向けてやらない親たち。
下品ですが、「スマホなんてやめて子どもを見てやれよ」と、一度言ってみたい。