好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

震災の取材で出会ったこと

阪神淡路大震災を取材したのは震災のあった数日後でした。先日の報道では「ぜひ記憶に残したい」という発言が多く、改めて「どう生かしていくのか」が課題になっていると感じました。

あの日から3か月後にも神戸に取材に入った私は家庭料理店を経営するAさん(75)を訪ねました。周囲の店や住宅は壊滅状態で店の床は陥没したまま。ガスも水も出ません。

 それでも開店に踏み切ったのは被災したお客さんが気になってのこと。どうしているか、ぜひ顔を見せてほしいとの一念からでした。

ところが何日経っても誰も来ません。あきらめかけたとき、6歳くらいの女の子がそっと顔をのぞかせて「開いていますか?」と尋ねたのです。

「どうぞどうぞ」と言うと、外で待っていたらしい両親を連れてきました。

常連さんではありませんでした。どうして開いていると分かったんだろう、どこから来たのだろうと不思議でしたが、食べてもらえると思うと嬉しくて嬉しくて。

あり合わせのものでしたが、親子3人おいしそうに食べた後、帰り際女の子が小さな花束をくれました。「おばちゃん、おめでとう」の言葉を添えて。

どこでその花を買ったのか。どうして花束を作ってくれたのか。不思議なことばかりです。

驚いてまともな礼が言えなかったAさんは、その花束を今も店の壁に飾っています。

徐々にお客さんが戻ったものの、あの女の子たちは来てくれません。また会いたいのですが。

Aさんが料理で人の役に立ちたいと思ったのは病院の栄養士をしていた若い頃のこと。三人の子育てのため長時間の勤務が出来ず、悩んでいたとき医師からすすめられたのが治療食づくりでした。

好きな料理が仕事にできるのは願ってもないこと。そのうちお菓子教室も開催。教室が増えていく中で起こったのが震災でした。教室は壊滅状態で断念。そんな折り、知り合いに頼まれて始めたのが患者向けのお弁当で、配達もしました。

「弁当だと料理の臭いが交じってしまう。それぞれの味でおいしく食べてほしい」と開いたのが今の店。お客さんの体調で一品添えたり、味をちょっと変えてみたり、心遣いはたっぷり。

今も弁当は続けています。共働きだったり、介護を必要とする家族がいるからです。「私にできるのは、おいしく楽しんで食べてもらうことだから」

あの女の子のように、自分がやれることがある幸せを噛みしめています。