好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

4か月ぶりのエッセイ塾

宿題は「コロナ禍の「今」

 

エッセイとは、この時代に生きる自分を描くことです。

コロナ禍でどう日々を過ごし、何を感じているか、作品にする試みに挑戦しています。

 

同じ時代にいても表現はさまざま。なかなか書けないと言わず、それを学ぶことも大切。

 

次の作品は視点を学ばされます。

「平和な時代には自分のことだけ考えて生きていればよかった。社会がある

程度まともであれば人は自由に人生を生きればいい。

でも社会が限度を超えて壊れていくとき、自分がいかに社会の影響下で生きているかに気付いた。

自分だけ自由に平和に生きることなど不可能だ。今こそ個々が社会のため

に行動するしかない。その選択が自分の人類の未来を決めるのだ、なんてね」

 

〇エッセイとは、過去も現在も将来もひっくるめて自分を徹底的に研究するということに尽きます。

夫、子どもが何を考えているか分からない。でも自分のことは分かるはず。自分がその中心にいて、生きている世界の中に、もう一度自分を位置づけましょう。エッセイとはそんな大変な大冒険をやっていることになりますね。

 

〇書くときに大切なのは、自分が書きつける言葉にいちいち責任を持つことです。

人から借りた言葉はなく、観念的ではなく具体的に。理屈ではなく具体的に。肩の力を抜いて。

 

 井上ひさし文章読本』から

 「なんのために、なにを、どのように書こうとしているのか。それを必死で考えることが、とりあえず文章の材料になる。なんのために、なにを、どのように~」 

コロナ禍のことを書くときの心構えとして

   

 〇思いを語ることは大切だけれど、案外難しい

 

 気持ちなんて、そう簡単に表現できるものでしょうか。

 自分で自分の気持ちを表すことは簡単なことではありません。

でも、日常平穏な暮らしのなかでは意識されることもなく過ぎているものの、いろんな事件、出来事に伴ってそれが顕在化します。そうと心得て日々を過ごしたいですね。

 

 

エッセイは完成させることが目的ではありません

  どう書いていくか試行錯誤していく行為こそ「書くこと」

  日々いろんなことがあるなかで、生きる自分を愛おしむ自分でいることです。