今日は8月15日。敗戦の日です。
たまたまテレビで女優で歌手の中村メイコさんを観たことから、インタビューしたときのことを思い出しました。
2歳でデビューしたメイコさんは、あまり学校に行っていません。戦意をあおる言論統制をよしとせず、筆を折った作家である父親の意向でした。学校に行けば軍事教育を受けさせられる、小さな子が軍人勅諭を覚える必要はない、行かなくてよろしいと、毅然とした態度の父親でした。
メイコさんの先生になったのは周りの大人たち。漢字は徳川無声さん、英語は古川ロッパさん、エノケンさんには遊びを伝授してもらったとか。すごい人たちですね。戦時中にこんなハイカラな世界で育てられたとは、驚きです。
小学生のとき、特攻隊の慰問に行かされます。
メイコさんの歌を聴くのは学徒動員の22、23歳の若者たち。目隠しされて連れて行かれたので場所は分かりません。たぶん上層部と言われる人たちが、明日死ぬという彼らにきれいな女性を見せてもむなしくなるだけで慰めにはならない、無表情になっていく彼らを奮い立たせるには小さな子どもを送り込むのが一番効果的だと思ったのだろうと言います。
歌い終わると何人かの兵隊が駆け寄ってきて抱っこされました。「それはきつく抱くんです。きっとこの子たちの未来のために俺たちは死んでいくのだと思っていたのでしょう。私をじっと見つめていた目が忘れられません。大人になってからそのときのことをすべてを聞かされ、深く落ち込みました」
メイコさんが帰るときいっぱい涙をためて見送った若者たちから「内地に帰ったらポストに入れてほしい」とたくさんの手紙を預かりました。
内地という言葉を聞いて、慰問先が異国の地だったことを悟ったといいます。
手紙の宛先には女性の名前がありました。母親でしょうか、婚約者でしょうか。
託された手紙は遺書となる手紙だったのです。