好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

真面目で勉強家のマリリン・モンローに圧倒されました

10月22日の「女性作家で楽しむ読書室」でマリリン・モンローを取り上げ、

 特に『アメリカで一番美しい人ーマリリン・モンロー』(岩波書店)では新しい発見がたくさんありました。

今まで持っていたイメージとあまりに違います。生まれながらに家庭のあたたかさを知らず、ひとりで生き抜くために「なんでもやってきた」モンロー。裸にもなりました。スターなって映画会社から煙たがれますが、「食べるためにお金が欲しかった」と堂々と発言、その姿勢に国民から支持されます。ときは大恐慌、第二次大戦。この時代にひとり立ち向かっていったのですからすごい。

ハリウッドの女優たちの「#MeToo」運動に先駆け、マリリン・モンローも告発。「20世紀フォックス」という巨大な組織との衝突でしたが、果敢な姿勢を保ち、「ピンナップ・ガールが何を言うか」と無視され続けたものの勝利。自分のプロダクションを立ち上げ、脚本や監督を選ぶ権利を勝ち取っています。

彼女か願ったのは常に自分を向上させ、真面目に演技者として扱われることでした。美しい笑顔を作るために顔の筋肉運動を研究したことも有名です。結婚も、愛し、慈しみながらも、夫に従うことを拒否。自分の判断で行動しています。ビューマニズムにも通じる無垢さ、デモクラシーなどが、戦中のアメリカで機械的で無気力で不条理さが協調されるほど、彼女へのあこがれの気持ちが強まったようです。作家アーサー・ミラーが「赤狩り」と闘ったとき、公然と彼を応援し、結婚したのも彼女の生きざまを示すものです。

グラマーといわれた女優はたくさんいますが、モンローが他を圧する存在になったのは、精神力の強さもあるようです。1950年代のモンローは、第2次大戦後、仕事をしていた女たちが帰還兵に席を譲り家庭へ戻され、子どもを産むことを使命にされたとき、つかの間の独立を味わった女性たちが抱えた苦悩をどう跳ね返すのか、戦後の女のあるべき姿の象徴ともされたのでは。

半分が才能、4分の1が被害者、4分の1が冗談の種という彼女の生涯。大恐慌、戦争というさ中にあって、自分の持っているモノ、条件をどう生かすか、考えつつ生き抜いた姿に感動しました。