ものを書くにはユーモアがなくては面白くないし、読んでいて「ほっとするなあ」「きっといいことあるかも」という暖かな気持ちがもらえなくてはつまりません。人の心をゆするのはそうしたハートです。1994年、高校生がつづった一行詩「父よ、母よ」がテレビで放映され、話題になりました。このときの「父、母」が、団塊世代の私たちでした。
高校教師だった吉村英雄氏が国語の授業で書かせたもので、親子関係のぎくしゃくが目立つなか、もっと親と子が心でつながるようにと取り組んだもの。家族とはなんぞやと問いかけられた時代でもありました。
「父よ、母よ」という呼びかけ文なのか曲者で、露骨で批判的でありつつも、そこには愛がたっぷりあるようなないような~。
お笑い下さい。
「父よ、言いたいことがあつたらはっかり云え! 母よ、言いたいことをそのまま言うな」
「父よ、何か言ってくれ。母よ、何も言うな」
うまい。対になっているとはなかなかのもの。
「17歳 やるではないか!」と拍手したくなります。
親を拒否しつつ、実は気にしてほしい。それに両親がうまくいつているのかどうかにも気をもんでいるのですから。
「父よ、母よ、僕をつくったのは失敗だ。僕に期待するな。かといって、その歳になってもう一人つくるなんて思うな」
「父よ母よ、わんぱくでもいい。たくましく老いてほしい」
「知よ、知ったかぶりをするのはやめて。母よ、知ったふりをするのはやめて」
この取り組みの中で思わぬものが生まれたといいます。高校生から一方的に生意気なことを言われたままではいかんと、親たちが反撃。「息子よ、娘よ」編へと発展したのです。
「息子よ、娘よ。養われている間はおとなしくいうことをききなさい。あと30年経てばおとなしく言うことをききます」
もうその30年がきていますがー。