好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

原発

四月から福島県双葉郡楢葉町警戒区域解除となりました。もう帰っていいよということです。この町出身で今はさいたま市に住むTさん(六六歳)の怒りの声をどうぞ。
 
 飲み水は山の上のダムから取るのに山は除染しない。環境庁は、放射能は下に貯まるから大丈夫と言うけど地下まで染み込んだ放射能のある水を飲めと言うの? 腐葉土の下は四万ベクレルもあり、子どものいる家庭はとても帰れません。帰郷宣言が出されるのが不思議でならないのです。 
 でも帰りたくない人は「自主避難」扱いとなり、東京電力の賠償などに差が付けられる恐れがでてくるのではないでしょうか。
 楢葉町は人口約七千六百五十人のうち約七千六百人が警戒区域に含まれました。
 わが家は原発事故のあったあの日のまま。もう家の中は獣が入り込んだりして荒れているはず。二度と住めないでしょう。
 町のほとんどが三世代同居でした。誰がお嫁に行ったとかどこの子が学校に上がったとかみんな知っていたものです。
 でも稲が実っていた田んぼや家の庭には除染した土が大きな黒い袋に入れられて幾つも並んでいます。黒い袋は工事用ですから、ずっと放射能が出ているし、何十年経っても元には戻らないでしょう。
もう帰らないと決めてはいるけれど、親の墓はずっとそこにあってほしい。墓地には親も親戚も近所の人もみんないて、そこに行けば会えるから。
 何代もその土地で暮らし、何かあれば助け合って暮らしてきました。ところが隣近所にいた人たちが突然いなくなった。コミュニティがなくなってしまった。それは耐えられません。
 仮設にいて自殺してしまったS子さん。病気で亡くなった夫の新盆をすませ、誰にも告げず外に出て行って…。帰りたい、帰りたいと言っていたのが耳から離れません。帰りたいとこは自分の家ではなく、みんなのいる町なのです。
 私の故郷が消えてしまった。それも突然に。その気持ちが分かりますか。