好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

「反省なんかしていないで、自分のことをバカって叱るのが一番。バカでいたくなければ自分でなんとかするでしょう」

日本画家の堀文子さんの言葉です。アトリエに訪問したのは

フリースペース「すてーじ・刻」で「断捨離的 心の整理塾」を開いていた頃。

 最終回の「整理塾」は、「ガラクタって何? どうして捨てられないの?」がテーマでした。「ガラ」とはガラガラと物が触れる音、「クタ」は,ゴミ、クズを意味する芥(あくた)からきていて、ガラクタとは使い道、値打ちのない品物や整理されていない雑多なモノを意味するとか。

そうはいっても「捨てられない」私たち。そこには抵抗力があると分かりました。選択が難しい。変化が怖い。だって現状維持が楽だから。「もったいない攻撃」。

 モノに焦点を当てている限りモノの力に負けてしまうみたい。責任は自分にあるのですから。

 当時92歳だった堀さんは「誰にも遠慮せず捨てること、縮小することがかなえられたのが嬉しい」と一間暮らしでした。

 経歴を尋ねたら、「過去は関係ないから、なし」と一刀両断。「築き上げたものを壊すのは惜しいもの。お金もモノも、人との付き合いさえも捨てることになるから。でも失った無駄が心の肥やしになるはず。古い水を捨てなければ新しい水は飲めない」すごい言葉ですね。  

 堀さんは科学者になる夢を持ちながら女性の職種が制限されていた時代に青春を迎え、差別がなく何物にも縛られない絵の道へと進みました。

群れることをよしとせず、師を持たず、画風もなし。日々感じるものをこれはと思うやり方で描きます。

83歳のとき、顕微表でのぞいた微生物の世界に生命の美しさを見出し、独自の世界を披露したものの、「でも今は違うものを描いているの。毎日1ミリでも成長したいから」と言う堀さん、「安住していたくない。それは人間としての怠慢だし、下降線になることを自分が許さない」と言い切ります。

生家は徳川時代に旗本屋敷が立ち並ぶ屋敷町にあり、父は権力に反抗した堺の豪商の子孫、母は新しい思想をもつ武士の家系です。権力に抗する血筋はそのせいかと言います。

きょうだい6人ひとりずつに女中がつき、礼儀を徹底して仕込まれ、巷のような子ども言葉は禁止。食事は男から順にいただく決まりで、堀さんら小さい子や女性の椀物はいつも冷えていたという「育ち」。目立つことを嫌い、慎みを備える美意識につながったようです。

そんな堀さんからいただいたのが著『ひとりで生きる』。インタビューで聴いた言葉がズラリと並んでいました。「人生の折り返し点は50歳。そこからは残る時間を人に譲らず、自分の決めた目標に向かって進むしかない」。取材中何度も言われたのが「まだ50歳半ばなの。これから何かがやれるじゃないの、やりなさいよ」の言葉。巷ではそろそろゆっくりのんびりみたいなことがささやかれるのに、ビシバシお尻をたたかれた気分でした。

80代でヒマラヤに登ったのは、ある花を観たかったから、でした。行っちゃうんですねえ。「現状を維持していれば平穏無事だけれど、新鮮な感動からは見捨てられるだけ」と言います。

そして続けました。「私はいつも己と一騎打ちしている。自分を自分で批判し、蹴り倒しながら生きる。そんな自由が好き」「反省なんかしていないで自分のことをバカって叱るのが一番。バカでいたくなければ自分でなんとかするでしょう」

取材が終わると手料理とお酒をすすめられました。この日のために用意していてくださったのです。酒の相手と見込まれておおいにしゃべり、飲みました。

酔いが覚めて、ふっと思いだしたのがこんな言葉でした。「思えば私がこの世で初めて出会ったのが『私』」。

「私」をうんと愛おしみたい。