好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

靴下の穴の繕い

今はまだまだ体力も頭もそれなりの熟年世代。とは言いつつ、80代で本が出版できるかとと問うなら、疑問です。

今月、私が出版を手掛けたのは、エッセイ塾の生徒、Oさん(84歳)。3冊目です。

 

最近、体調を崩してお休みが続き、「もう来れないのでやめる」と言っていたものの、数日後には「やっぱり続けたい」と心変わり。塾の仲間が喜びました。

なによりテーマに向かう姿勢がすごいのです。疑問に思うことは図書館等で調べ、図鑑をひも解き、自分のモノにしてしまう。書いていて「なんでだ? どうして?」となるとそこへ一直線に突入。「知らなかったことが多くて」と、未知の世界にどんどん踏み込んでいくのです。

 

嬉しいのは、そんな発見をとっても楽しんでいること。宇宙のことまで出てくるのですから。羨ましいほどなのです。果たして自分がその年齢になったとき、そんな感性でいられるのか。私は絶対ダメだ。もう干乾びてるかもしれないもの。

今回の本には、穴の空いた靴下の親指と踵が話している作品が登場します。

 

この靴下は一度Oさんにくず籠に捨てられてしまうのですが、Oさんは思い出すのです。子ども時代が戦中。農家でした。普段用に穿いた足袋は、昼間田畑の作業をしている母や姉たちが夜業してこしらえてくれた木綿のものでした。お正月や余所行きの足袋は店で買った赤いビロードの柔らかい心地のいいもの。靴下は式服を着るときや遠足の際に穿きました。靴下が破れると母親が靴下の中に電球を入れて繕ってくれたものです。

 くず籠から拾い上げたOさんは何十年振りかに靴下の繕いをするのでした。

喜んだ親指と踵。2人(!)の会話です。踵「しっかりあて布をしてくれたよ。ふわっとしていい気持ち」親指「これから何年も役に立てると思うと感激だ」。そして「靴下の親指と踵の会話を知る由もないOさんは、今日も繕った靴下を穿いて腰をさすりさすり台所に立っている」と締めくくります。

出版する本には必ずと言っていいほど、戦争への強い怒りと平和への思いがにじむ作品が並びます。書き続ける意味なのです。

 

来月は一品持ち寄りの、Oさんの出版パーティーです。仲間の得意料理が並びます。さて、私は何を作ろうかしらん。