好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

エッセイを書く

今年のエッセイ塾のテーマは「小さな暮らし」です。
自分の暮らしに関わるさまざまなことを、ちゃんと見て綴ってみようというもの。
難しいのは自分の思い(メッセージ)を分かりやすくどう伝えるか。伝える言葉は、伝える気持ちが支えているとは
言いますがー。
詩人・まどみちお氏曰く、
「世の中に?!があれば、この世は何もいらんのじゃないか。私には脳がなくて、いつもクエッシチョンマークしかない。『これなんだろう』『どうしてそうなんだ』と全部考えてみる。それがたまに『!』と感嘆符になるが、今は怒りの感嘆符ばかり」。同感です。さらに「私には私にしか見えないものがあるように、貴女には貴女にしか見えないものがある。でも言葉を使って交流したら、私が見ているものを貴女が見て、貴女が見ているものを私が見ることができる。しかも目に見えない気持ちもなにもかも。目に見えるように文字で表すことができるのが人なんです」には、書く意味を見つけた思いでした。 
もうひとつ大切にしたいのは 低い視線で書くこと。画家・熊谷守一曰く、「ものごとは上からばかり見ないでときにははいつくばって見る。かっこう悪くても視線を低くすると、別の世界が見えてくる」。
ミミズやダンゴ虫などを腹ばいになって観察する熊谷氏は、彼らこそが地球の土を創ってきたのではないか、生き物がいい土を作り、いい土が豊かな水を地中に貯める。視線を低くして初めて見えてくるものがあると教えます。
まずは背伸びしたり、上品ぶったりせずに表現すること。ただ自分の観察の不十分さ、ものを見る目の浅さ、勝手な思い込みは気づくのがとても難しい。気づくには、人の意見を受け入れる自分であることでしょうね。なんとかしようともがくことにこそ意味があるのですから。
 年齢を重ねるとおっくうなことが増えます。一人暮らしのA子さん。「自分で気づくのはよく足を使うようになったこと。くずかごの位置をなおすとか、靴を揃えるときとか、しゃがむのがおっくうになっている。かつてはそういう姿を嫌ったのに。自分を、まあいいやと甘やかすのが怖い」と言います。
顔や姿の老いは当然だけれど、老いは即老醜ではありません。自分という大切な人間を丁寧に育て、磨いていきたいですね。

篠田節子を取り上げました。ホラー小説が多く、彼女が作家として学んでいた時、ホラー作品花盛りだったのでは、とのこと。小川洋子などもそうらしいのです。
時代と切り結んだ作品、病巣を見つめたものが多く、それも真っ向から問題を「正当」な回答として展開するのではなく、独自の視点があり、そんな見方もあるのかと驚かされることが多々ありました。
最先端の技術、科学の知識があこちにちりばめられ、ミステリアスに。それも普通の家庭や男女が巻き込まれていくのですから、怖いことの上ありません。
サリン事件の後に発表された「ゴサインタン」は、失踪した妻を探してたどり着いたのは神の山「ゴ後さイン」。魂の再生を力強く描きます。原発事故の前にかかれたのが「斉藤家の核弾道」。「国家主義カースト性」で超管理国家となった日本で、家を政府の策略で追われた斉藤家。政府の汚いやり方に家族を守るために核弾頭を手に立ち上がるのです。
女性の働き方を取り上げたのが「女たちのジハード」。保険会社に勤める5人のoL。失望と絶望を繰り返しながら人生を切り開いていきます。
今回取り上げたのは「離婚式」と「冬の光」。長年連れ添った夫婦が胸に深く抱えている闇を明らかにします。どう生きたのか、どう生きたいのかを問いかけつつ、人は見えている部分しか分からないものだと教えてくれます。
交流では自分たちの置かれている状況も出され、心の持ち方や考え方について話し合いました。
それにしても篠田節子は、多彩なテーマの作品があり、感動するばかりでした。次回は1月26日(土)。百人一首の女性歌人を取り上げます。