好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

心が錆びないように

徒然草』に「刹那をはこんでいく」とありますが、「運んでいく」という感覚が大事で、目の前のことを丁寧に心を込めてし終えていく、その接続が人生だからという意味です。

以前、取材していてドキッとしたのは、老化すると人を祝福できなくなるということ。自分のことばかりしゃべり、嘆く人がいますよね。これはうらやましいという感情の裏返しで、人を褒める感情がなくなっているらしいのです。

ねたましいから憎らしいという感情では心が錆びるそうです。それを避けるには感性を磨き続けること。人の気持ちは50歳、60歳まではセーブできるものの、ほおっておくとセーブがきかなくなるらしく、要注意かもしれません。

先日東日本大震災で身内を亡くした方と遭ったのですが、何十年と培ってきたものを捨てさせられるむごさに身がすくむ思いでした。また思い出したのが『徒然草』。「死期はついでをまたず。死は前よりしも来たらず、かねてうしろに迫れり。人皆死あることを知りて待つこと、しかも急ならざるに、覚えずして来たる。沖の干潟遥かなれども、磯より潮の満ちるがごとし」

死ぬ時期は年齢にかまわず、順番を待たずやってくる。死は前の方から来るとは限らず、気付かないうち背後から音なく迫ってきている。人は皆、死があることは知っているが、まさか来るとは思ってもいないときに突然やってくる、ということです。

「若きによらず、強きにもよらず、思いかけぬは死期なり。今日まで逃れ来にせるは、ありがたき不思議なり」

若いとか、強いとかに関係なく、思いがけないのは死のやって来る時期。今日まで死をまぬがれて生きているのは不思議の極みだと続きます。

そうか、今生きているのは死をまぬがれているのかと納得。

この続きがいいのです。「人、死を憎まば、生を愛すべし。存命の喜び、日々に楽しまざらんや」。必ず死ぬ事実を受け入れ、覚悟すれば、生かされている命を愛する思いがひしひしと胸に迫るはず。生きていることを楽しまないでいられようか、というものです。

ではどう楽しんだらいいのでしょう。漫然と時の流れに身を任せるのではなく、自分ので、自分の心で刹那(最小の時間)を選び、自分で運ぶこと。どう時を選ぶかが生きていく質を決め、刹那の運び方が運ぶ人の表情を変えたり、作ったりするのだと。

ということは、しょうもないことに悩まされたり、ぐだぐだしている暇なんかないということなのでしょうね。