好奇心のまま~瀬谷道子が見つけたこと

インタビューしたり取材して、はっとしたことを紹介。いいこと、楽しいことはまだまだこんなにあるよ

「ウィメンズ・ステージ」

脱原発の映画

「私は力のない者ですが、なんらかの形で行動に移すよう努力したい」。七月二十八日に行なったフリースペース「すてーじ・刻」主催(清瀬市後援)の「脱原発映画『みえない雲』の上映と講演」に参加した若い母親の感想です。 会場満杯の七十五人も参加。 映画…

旅するエッセイ塾

一泊の「旅するエッセイ塾」を六月十四、十五日、山梨・小菅村にて開塾。小菅村は標高六百メートルにある森林の村で人口は八百人足らずです。 きっかけは、ここでキャンプ場を経営する生徒・Aさんがいたこと。みんな、彼女のエッセイに登場する村が見たくて…

人の話が聞けない

人の話が聞けない人が増えています。 親が子どもの話をきかない。夫が妻の話をきかない。医者が患者の話を聞かない。 口をはさんで話をとったり、結論を押し付ける。常に相手より優位に立とうとする感情がそうさせるようです。 大切なのは指示を出したり、方…

夫婦とは

夫婦は相手のことを知らないまま暮らせるのかもしれません。年齢が重なれば、互いに何も言わなくても一応の用事は足りてしまう。 気分転換や刺激には、気の合う女友だちがいれば十分。「夫とでかけるなんてとんでもない、茶の間がついてくる」と即座に否定と…

:原発を許さないために

女優・吉永小百合さんに十年も手紙を書き続け、先月、千二百人の参加で「吉永小百合原爆詩朗読会」を成功させたのは、私の編集する雑誌の読者Kさん、五十代。 福島在住です。 第一部は故郷への思いあふれる構成詩「今、福島の私たちが思うこと」。第二部が吉…

生きるということと死ということ

「人の命」がテーマのドキュメンタリーを製作するディレクター・Hさんを取材しました。 NHKのETV特集で死刑問題を取り上げ、昨年は二十二歳で死刑を執行された青年と、死刑を求刑した元検事の間で交わされた手紙を通して罪と罰のあり方を問う『裁かれ…

ドイツの脱原発の底流にあったもの

私の編集する「ウィメンズ・ステージ」の読者の企画した映画会に出ました。 ドイツ映画「見えない雲」。原作はチェルノブイリ原発事故の翌年の一九八六年に発売された児童小説。著者は小学校教師だったグードセルン・パウゼヴァングさん、当時四二歳。原発事…

戦争はまだ終わっていない

戦争責任を棚上げにしたままの政府ですが、戦争とがっぷり関わる女性たちのいさぎよいこと。 踊りの師匠・Mさん(六八歳)は、一九八六年、韓国慶州のナザレ園を訪ねて以来公演をやめ、ナザレ園協力会を立ち上げ、その活動を中心とする暮らしに切り替えました…

手紙が怖い

「女性のためのエッセイ講座」をやっている。先日手紙が話題に。手紙やハガキがきたら、すぐ返す人、2、3日して返す人といろいろ。「すぐ返事がくるのはいや。ちゃんと噛みしめて読んでくれていない」。なるほど。私は取材先から帰るとき、列車のなかでハガ…

死んだら自分は香典もらえないから

ちょっと後悔しています。退職後決めたひとつはできるだけ葬式に出ないこと。だって、もうその人には会えないし、知らない人と混じっても仕方がない。静かにその人に思いをはせることにしていました。 それなのに一本の電話で吹き飛んでしまいました。「母(6…

人は可能性にチャレンジ゛してこそ

「自分でできるから人に頼みたくないの」。そういわれてハッとしました 自治体主催のエッセイ講座の講師をしていますが、教えられることの多いこと。これは元ハンセン病患者の七十六歳のAさん。 Aさんは二年かけて脱稿。今本にする手伝いをしています。 校正…

可能性にチャレンジするのが人

校正の仕方を教え、「赤字入れられますか? 誰か手伝ってくれないかなあ」と言うと、目を真っ直ぐ見て、「人はやろうと思うとなんでもできるようになる。やろうとすることが人であることじゃないかしら」とグサリ。ごもっとも。 目の不自由な方たちに新聞を読…

被災地へゆく

「来てくれてありがとう。後押ししてもらっていると初めて感じた」。仙台で被災したAさん。50代。嬉しそうでした。今福島から妊娠中の娘さんが幼い子どもと避難しに来ています。 9月16、17日、女性誌「ウィメンズ・ステージ」主催の東北支援旅行(仙台)には兵…

言葉の面白さ

「竹取物語のかぐや姫は、罪人で思いやりに欠けた残酷な面をもつ嫌な人だった」―こんな暴露をしてくれたのは、『日本語の古典』(岩波新書)の著者・山口仲美明治大学国際日本学部教授。インタビューに行きました。テレビ「世界一受けたい授業」で見た方もいる…

できることをできるときに

9月に女性誌「ウィメンズ・ステージ」で東北復興支援旅行を企画。被災と仙台の読者のホテルに泊まり、交流しますが、参加する人たちもすごい。介護中の人が3人。母親をデイケアに預けて行く人、兄弟で父親を介護している人は、兄弟からも「ぜひ行って来い」…

生きるということ

若年性パーキンソン病のTさん(五十四歳)は、オルゴールの出前コンサートを四百回も続けています。七月に京都の町屋で開かれたコンサートにでかけました。舞台にアンティークオルゴールがズラリ。小鳥が、本物そっくりに舌を震わせて鳴くオルゴールには見入っ…

チャンスって流れ星のごとくある

フリースペース「すてーじ・刻」で企画した「ひとり語り」は震災の関係で六月四日に延期。先日、語る熊澤南水さん(七十歳)に会い、見過ごしていたことに気付かされました。 小学六年で養女となり、結婚後も店の切り盛りと五人の子育てと同時に、大姑、姑、叔…

東日本大震災で被災した方に会って

福島原発の放射能漏れが広がりをみせる四月四日。いわき市から埼玉に住む息子のところに逃げて来たA子さん(五五歳)を訪ねました。 避難してきたのは、2号機が水素爆発してすぐの三月十四日。自宅は原発から三十三キロ。自宅で避難していたところ、津波で避…

夫婦について

3月、「夫婦」をテーマに「女性作家で楽しむ読書室」を開きました。取り上げた作家は円地文子、田村俊子、宮本百合子、田村俊子、宮尾登美子など。 円地文子の描く、心は夫の不貞に煮えたぎっても、そんなの気にしない、気高く生きるのだと言い聞かせるもの…

東北関東大震災被災者支援を

大船渡の方から連絡がきました。高校生の娘さんといまだ連絡がとれず毎日探しています。どこかの避難所にいると信じて歩いて歩いて探しています。近所の家では子ども4人を残して両親の行方が分かりません。安否を、まず安否を。気仙沼の方からメールで連絡が…

東北関東大震災被災者に支援を

「ウィメンズ・ステージ」の読者やフリースペース「すてーじ・刻」の立ち上げに協力してくださった方たち、何人もが被災しています。気仙沼には3人。みんな消息不明でしたが昨日やっと一人、大丈夫だっことを、その方の連れ合いと一緒だったという仙台の方と…

若年認知症の夫と

Sさん(六十三歳)の夫が若年認知症と分かったのは五十五歳のとき。世話好きで学校や地域の役員も引き受け忙しい日々。 しかし出かけにいつも何か探すことが多くなり、病院へ。告知した医師に「生存は十年」と言われたとか。 夫は会社には通い続けていたが、…

若年性認知症の深刻さ

大阪に、若年性認知症の夫をもつ女性たちの取材に行く。映画で見ただけで、詳しいことは何もしらずにでかけ、その問題の深さに考えこんでしまった。問題は多くが夫婦介護だということ。妻の場合、愛した夫が、性格も変わり、まるで違う人間になつていくさま…

いざというとき

2月2日、テレビ朝日に、若手女性ジャーナリストたちの話を聞きに行く。ニュースキャスターとして活躍していた久和ひとみさんと筑紫哲也さんの遺志をついで立ち上げた「久和ひとみ・筑紫哲也スカラシップ」に選考され、仕事を中断して留学したという女性た…

うれしい贈り物

団塊世代の女性を中心とした女性誌「ウィメンズ・ステージ」を発行し続けて20年になる。よくももったものだとつくづく思う。支え、応援してくれる各地の読者の方があればこそと痛感する。その気持ちを新たにしたのが今日。福岡からどんと小包が届いたのだ。 …

「くせに」という言葉

数学者の森毅さんの著を読む。よく「子どものくせに親に向かって」とか「できもしないくせに、文句ばかり言って」というが、それは自分が子どもでだったり、できもしないからこそ言い分があるのであって、もしも親だったり、なんでも完全にできるのであれば…

エッセイ講座ずこい人気

1月から西東京市の保谷駅前公民館で開く「女性のためのエッセイ講座」の申し込みが26人にもなつたとのこと。講師の私としては人が集まるか心配だったのだが、ほっとした。18時30分~20時30分の時間帯。働いている方たちが多い様子。40年も働いてきた私として…

自分を知る

「自分を知る」というのはなかなかできないもの。舞踊家のNさんにいいことを聞いた。「お面のワークショップ」。 六十六歳。教師を四十五歳で退職した理由は「やりたいことをやって」人生を終えたかったから 。表現したいことがどう演じれば伝わるのか、と…

死に方

「おひとり死」とは「ひとりの状態」で死を迎えることをいう。この言葉を使ったのは作家松原惇子さん。同世代。インタビューして共感することが多々あった。寂しい死に方ではなくて普通の人の死に方だ。家族は少ないし、結婚していてもどちらかが先にいなく…

家族

「家族っていやらしい?」。 自分史とエッセイの教室を開いて6年になる。ときどき生徒さんの作品を読み合う。11月に開いたとき、家族や愛をテーマにした作品があり、話が弾んだ。 書いたAさんは、テレビのインタビューで佐多稲子さんが自分にとって家族…